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稲垣えみ子さんの節電生活「冷蔵庫も洗濯機もないそぎ落とされた空間」その新たな世界とは [おとなスタイル]

2017年01月10日(火) 18時00分配信

稲垣えみ子さん

シンプルに生きたいと思っても、おとなは何かとややこしい。
いったい何を手放し、何を残せばいいんだろう?
「報道ステーション」「情熱大陸」などに出演して、その節電生活が話題となったフリーランサー、稲垣えみ子さんにお話しを伺いました。

「個人的脱原発計画」で、冷蔵庫を処分して

稲垣宅にお邪魔し、室内の設えの説明を受ける。まず、何があるかではなく、何がないかをうかがう。曰く、「靴箱がない、収納がゼロ、エアコンがない、冷蔵庫がない、洗濯機もない。ガス契約をしていない」。
本棚に器類とともに収められた本もわずか30冊ほどだ。

「ここにあるのは繰り返し読んでいる本と、いま読んでいるものだけ。あとは全部、よく行く近くのブックカフェに置いていて、“アウトソーシング”しています」

本棚以外に置かれているのは、卓袱(ちゃぶ)台、すべての衣類と書類が収まっている中古の小さな洋服箪笥とベッドのみ。広がるのは、そぎ落とされた清楚な33平米の空間。
もう、これだけで十二分にシンプルな生活ぶりが伝わってこようというものだ。

稲垣さんの生活を一変させたのは、2011年に起きた東日本大震災による福島原発事故だ。当時は、朝日新聞大阪本社社会部の地域ニュースディレクターとして、神戸で一人暮らしをしていた。その日まで、「危険性はあるかもしれないけれど、原発のない便利な生活は、現実的に成り立たないだろう」と捉えていた。が、この事故を境に、考え方は180度変わってしまった。

「私は電気を享受して生活してきたわけで、事故は自分の問題なんです。加害者は自分だと思いました。それで、関西電力の約半分が原発でまかなわれているのなら、自分の電気代を半分にしようとアホみたいな目標を立てたんです。人に発信する仕事をしてきたのに、事故を生んでしまったのは、普通の方以上に罪は重いと感じたので」

これを「個人的脱原発計画」と名付け、その後、次々と電化製品を捨て始めていった。電子レンジ、扇風機、こたつ、電気毛布……、そしてついには冷蔵庫まで。

「冷蔵庫がなければ、食品をしまったまま忘れることもないから、腐らせなくてすむ。夏場は、買ったものをその日に食べなければいけないので、余計な買い物がどんどん減っていく。でも全然それで困らなくて。今まで何をカゴいっぱい買ってたんだと思ったわけです」

東日本大震災からまもなく5年が経とうとする2016年1月、50歳を迎えていた稲垣さんは朝日新聞社を退社し、フリーになる。38歳のときにふと口をついて出てきた「50歳で辞める」を実践した形だった。独身、子なし、50歳の再出発だ。

■Profile

いながきえみこ
1965年愛知県生まれ。一橋大学社会学部を卒業後、1987年、朝日新聞社に入社。大阪本社社会部、週刊朝日編集部、編集委員などを経て、2016年1月、退社。
「報道ステーション」「情熱大陸」などに出演して、その節電生活が話題に。著書に『魂の退社』(東洋経済新報社)『アフロ記者が記者として書いてきたこと。退職したからこそ書けたこと。』( 朝日新聞出版)。現在「AERA」でも連載執筆中。

 

『おとなスタイル』Vol.5 2016秋号より
(撮影/相馬ミナ)

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