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ゴッホの末裔にインタビュー  “ゴッホが本当に遺したかったもの”とは? [おとなスタイル]

2016年06月29日(水) 09時00分配信

右がウィレムさん。左が向井山朋子さん。

ゴッホの末裔、ウィレムさんと親交の深い向井山朋子さんが、家族しか知らない画家ゴッホにまつわる話をインタビュー。そこから見えてきたのはゴッホ美術館を設立した、テオの息子の思いと過去と未来を結ぶゴッホからのメッセージでした。
ゴッホの絵に囲まれて育った幼少時代

家系図の前で。ウィレムさんゴッホの弟テオの曾孫にあたる。

ゴッホの絵に囲まれて育った幼少時代

向井山 ウィレムさんは画家のフィンセント・ファン・ゴッホの末裔ですが、ゴッホの弟のテオドルス(テオ)の曾孫になるのですね。

ウィレム 私の祖父の父がゴッホの弟で、画商だったテオです。兄を尊敬していたテオは、祖父が生まれるとゴッホと同じ名前をつけました。ゴッホは生涯独身だったため、本人とテオの死後、膨大なコレクションはテオの妻ヨハナと息子(祖父)に引き継がれました。

向井山 「花咲くアーモンドの枝」は、あなたのおじいさまの誕生を祝って贈られたものでしたね。

ウィレム その絵は祖父の居間に飾られていました。私はまだ11歳でしたが、輝くように美しいブルーに惹かれ、眺めるたびに幸せな気分になれたのを覚えています。祖父はすべてのコレクションを個人で所有していました。

向井山 それらは今、ゴッホ美術館に展示されているものですね。

ウィレム はい、そうです。油彩が約200点、素描が約500点、書簡が900通近く、他にゴーギャンやロートレックなどの作品です。それらの絵が、祖父の自宅のあらゆるところに飾られていました。両親も祖父から絵を貸し出してもらい、居間に飾っていました。

向井山 信じられないほど贅沢な環境でお育ちになったのですね。ご自分の家庭が特別だと気づいたのは、いつ頃ですか。

ウィレム 9歳の夏休みです。南仏のホテルの部屋の壁に祖父の居間にあった「ひまわり」の複製が飾られていました。それを見て自分の置かれた環境は特別なのだ、と思い至りました。

向井山 ゴッホは20世紀初頭から、皆に知られていましたね。

ウィレム 有名ではありましたが、今ほどではありません。まだ多くの作品が世に出ていなかったからです。祖父母や両親は彼の絵を自宅に保管していたため、セキュリティーは無いも同然でした。キッチンのドアに鍵がかかっていないことさえありました。

向井山 今まで、そのような膨大なコレクションを個人で所有していた例はあまりないのではないでしょうか。

ウィレム 祖父もこれらのコレクションは個人で所有すべきではないと考え、あるときすべてを手放し、国に託すことを決断しました。彼は「人類のための文化遺産」として、ひとりでも多くの人と共有するべきものと考えたのです。

他にも「ひまわり」などの傑作も鑑賞できる。

左はゴッホの自画像と思われていたが、弟のテオの肖像画であることが近年判明した。

アムステルダムにあるゴッホ美術館。

「黄色い家」のレプリカの前で。
おとなスタイルVol.3  2016 春号 より

(撮影/蝦名まゆこ)

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