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漫画家・ヤマザキマリさんが辿る須賀敦子 【須賀作品との出会い編】 [おとなスタイル]

2016年04月28日(木) 09時00分配信

繊細で憂いを帯びた、あのイタリアの感触があった

翻訳者として日本文学とイタリア文学の架け橋となり、初めて書いたエッセイは見事ふたつの文学賞を受賞。そのとき、日本が誇る名エッセイスト・須賀敦子さんは61歳でした。 彼女の生き様を、漫画家・ヤマザキマリさんが辿ります。

繊細で憂いを帯びた、あのイタリアの感触があった

お会いする機会が無かったので、私は須賀敦子さんの素顔を知らない。しかし、私の中に映し出される須賀敦子という人の輪郭は、とても鮮明で、はっきりしている。実際に日常で出会うたくさんの人々全ての印象を、私の頼りない記憶力はなかなか具体的に留め置いてくれないのだが、須賀敦子という想像力の中を住処(すみか)にしている女性のイメージは、まるで何度もその姿を目にしてきたかのような、その声を耳にしてきたかのような、そんな生々しい質感とともに私の中で再現される。
かといって、私は決して須賀敦子のファナティックな読者ではないし、彼女の存在を知ったのもそれまで11年暮らしていたフィレンツェを一時的に離れて日本へ戻って来た頃のことで、その翌年には彼女はこの世を去ってしまった。油絵を学ぶために17歳でイタリアに渡って以来、大海原を今にも壊れそうな筏で漂流しているかのような暮らしを強いられていた私は、その間殆ど進行形の日本の文化と接点を持つことができずにいたので、須賀敦子というイタリアと日本の文学をつないだ人のエッセイが出版されていた事も、または私が読んでいた日本の文学作品をイタリア語に翻訳していたのが彼女であることも、何ひとつ知らなかった。
日本に戻ってから何校かの大学でイタリア語の非常勤講師をしたり、札幌の日伊協会の事務を手伝ったりしていたが、事務局の本棚に差し込まれていた『コルシア書店の仲間たち』という本を手に取ったのが、私にとっての須賀作品との最初の出会いだ。
しばらくして戻ってきた日本の街のあちらこちらには沢山のイタリア料理店があり、私の周りにもイタリアという国に憧れを抱いている人たちが沢山いた。書店にはイタリアについて書かれたエッセイやガイドブックが沢山並んでいたし、私と出会う人はアモーレ(愛して)、マンジャーレ(食べて)、カンターレ(歌って)という、事も、コルシア書店のものとはそう遠くかけ離れてはいなかったのではないかとも思っている。
『コルシア書店の仲間たち』を読み終えた私は、日本へ戻ってきて以来自分を戸惑わせていたイタリアというイメージから解放されたような気持ちになった。そして私は、もっと須賀敦子という人がイタリアで感じてきた事を、そして見てきた事を知りたい、と思うようになっていた。彼女の中で大切にされ続けてきた記憶が、その尊さにふさわしい文字となって表現されるのを待っていたかのような文体に引き込まれながら、私は須賀敦子の世界の中を漂った。

須賀敦子の軌跡

<ヤマザキマリさん プロフィール>
漫画家。1967年4月20日生まれ。14歳でヨーロッパひとり旅へ。その後17歳で渡伊、11年間油絵を学ぶ。以降、中東、ポルトガル、シカゴと移り住み、現在はヴェネツィア在住。著書に『テルマエ・ロマエ』『プリニウス』『スティーブ・ジョブズ』など多数。
おとなスタイルVol.2 2015冬号より

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